さらば、わが愛 覇王別姫

内乱と戦争と改革に翻弄された近代中国史を舞台に
京劇の虚実皮膜のなかに「性」と「生」を全うした美しき女形

映画の紹介

1993年に公開され世界的にヒット、カンヌ映画祭でパルム・ドール受賞の栄誉にも輝いた陳凱歌監督の代表作。30年を経て2023年に4Kレストア版として再公開され、往年のファンを喜ばせた。軍閥・国民党・共産党三つ巴の内戦、日本による侵略、さらには共産党の躍進とその後の文化大革命…。未曾有の動乱が続いた近代中国を舞台に、京劇「覇王別姫」を当たり役とする人気役者たちの波乱の生きざまが、絢爛に描かれる。女形の程蝶衣を当時、人気絶頂期にあったレスリー・チャンが熱演。舞台のパートナーである幼馴染への思慕を抱きながら、京劇の虚実皮膜のなかでしか「生」を全うできない天才役者の哀しい宿命を表現しきっている。

監督:陳凱歌(チェン・カイコー)
脚本:李碧華(リー・ピクワー)・蘆葦(ルー・ウェイ)
原作:李碧華
制作:1993年 中国・香港
キャスト:張國榮(レスリー・チャン)、張豊毅(チャン・ホンイー)、鞏俐(コン・リー)ほか

映画の解説と見どころ ★ネタバレあり

point 1 「覇王別姫」に始まり「覇王別姫」に終わる

 薄暗い通路を、絢爛な京劇衣装に身を包み化粧を施した二人の役者が歩いてくる。冠り物と黒髭と隈取が立派な大柄な男役に、優雅な物腰の女役が寄り添っている。二人はやたらと大きなガランドウの空間に出てくる。どうやらそこは体育館らしい。

 画面の外から係員が二人に声を掛ける。そこからのやりとりで、二人は往年の名優たちで、11年ぶりに再会し、これから22年ぶりの共演をしようとしていること、そのためのリハーサルに来たのだということが明かされる。終始、男役は年数についての記憶違いを起こし、それを女役がいちいち訂正する。その声で、この女役は男性で、女形(おやま)なのだということがわかるが、二人の雰囲気はまるで長年連れ添った夫婦のようだ。

 二人がこれから演じるのは「覇王別姫」(はおうべっき)、二人はその主役、項羽と虞姫(虞美人)に扮している。「覇王別姫」は、楚の項羽と妻の虞姫との別離を描いた人気演目だ。漢の劉邦と覇権を争い、次第に「四面楚歌」な状況に追い込まれていく夫の項羽を慮って、虞姫が項羽の腰の剣を抜いて自刎(じふん)するという悲劇的なストーリーである。

 体育館に照明が灯され、二人がリハーサルを始めようとするところで、タイトルバックに切り替わる。「覇王別姫」の題字、その背景に虞姫自刎の場面を描いた絵画。映画はここから約3時間をかけて二人の俳優の半生をたどり、そのラストで再び冒頭のリハーサルシーンへと戻ってくる。つまり京劇「覇王別姫」で始まり、「覇王別姫」で終わるという円環構造になっている。

 それだけではない。じつはこの構造には、「覇王別姫」の物語である「虚」の世界と、それを演じる役者たちの人生である「実」の世界が、あたかもメビウスの輪のように捩れて連環し、その果てに新たな悲劇を生むという、驚くべき仕掛けが施されているのだ。

タイトルバックに登場する絵画。この虞姫自刎のシーンが、本作の悲劇を象徴していく。(公式ホームページより)

point 2 母によって指を「断種」された少年

 時代は1924年の冬に遡る。男の子を連れた若い遊女が、少年たちが寝食を共にしながら京劇の訓練を受けている「喜福成」(京劇俳優養成所兼児童劇団)を訪ねる。母親は、老師(初老の劇団長)に、自分の子を預かってほしいと談判する。大きくなってきた子供を遊郭で育て続けることができなくなったのだ。喜福成は孤児や捨て子ばかりが集められてなりたっている施設なのである。

 男の子は遊郭育ちのせいなのか、劇団にいる坊主頭の薄汚れた少年たちとは違い、顔も体つきも風情も可憐だ。その可憐な身体を乱暴な手つきで検査する老師が、男の子の手指を見たとたん「だめだ。こんな手では観客がびっくりしてしまう」と母親の訴えを一蹴する。男の子の左手には、1本余分な指が生えているのだ。母親は男の子をひったてるようにしながら施設の外に飛び出し、そこに通りがかった刃物研ぎの包丁を掴んで、あっというまに我が子の余分な指を切り落としてしまう。

 男の子は、激痛に堪えかねて大声で泣き叫びながら、喜福成の堂内をすばしこく逃げ回る。大人たちと京劇訓練中の少年たちが一緒になって男の子を追い掛け回す大騒動となる(本作ではしょっちゅう集団や群衆が騒動を起こすが、それが画面にエネルギッシュな躍動感をもたらす)。ついにとらわれた男の子はその場で入団が認められ、一枚紙の契約書に、まだ血が滴っている傷口を無理やり押し当てて血判をさせられる。母親は去り、取り残された男の子は以降、劇団では小豆子(シャオドウヅ)と呼ばれる。この小豆子が、のちに名女形へと成長し程蝶衣(チェン・ディエイー)となる。

 小豆子=蝶衣が遊女である母親に捨てられるようにして京劇の世界に入ったことは、以降の蝶衣の生きざまに影響を及ぼしつづける。とともに、母親によって指を切り落とされたという出来事も、蝶衣の心身に大きな影響を与えたように思う。「人とは違う」クィア性をもった蝶衣の、まさにそのクィア性が、本人の自覚が芽生えるよりも先に、母親の手によって無理やり「断種」されてしまったようにも思えてならない(無理を承知でいえば、切断された6本目の指は蝶衣のクィアなペニスなのではないか)。蝶衣はやがて、自分が男なのか女なのか、その境界上で悩み苦しみつづけることになる。母親による指の切断という事件は、蝶衣にそのような宿命を負わせた元凶として暗示されているのではないだろうか。

 余談ながら、「さらばわが愛 覇王別姫」は、ジェーン・カンピオン監督の「ピアノ・レッスン」とともに1993年カンヌ映画祭パルム・ドールを分けあった。パルム・ドームを二つの映画で分け合った例がほかにないわけではないが、きっと並みいる審査委員たちも「覇王別姫」と「ピアノ・レッスン」のどちらも甲乙つけがたかったのだろう。多くの映画ファンもそうだったろうし、私だってそうだ。

 じつはこの2本の映画には、いずれも「指の切断」という痛々しいエピソードを扱っているという共通点もある。この点も、偶然とはいえ、なんとも意味ありげなことに思えてならない(「ピアノ・レッスン」では主人公のエイダが、植民地主義者の夫によって指を切断されてしまう)。

point 3 「科班」と「死契」――過酷すぎる訓練

 アクロバティックな動きの多い京劇を演じるには、超人的な体力と運動能力が求められる。そのせいなのだろう、俳優養成所兼児童劇団「喜福成」で少年たちが受ける訓練は、すさまじく過酷だ。

 年少から年長までの少年たちが、足を延ばしたまま大きく振り上げる「踢腿」(ティートゥイ)をしながら堂内を延々と歩かされている傍らで、入団したばかりの小豆子は両手を拘束されたまま、拷問のような股割をされている。小豆子の横には、何かの懲罰なのか、長時間にわたり倒立をさせられている少年もいる。

 泣き叫ぶ小豆子の様子を見るに見かねて、年長の少年・小石頭(シャオシートウ)が、踢腿をしながら小豆子の足を固定している煉瓦を蹴り飛ばしてやる。すぐさま老師が石頭を叱りつけ、尻打ちの体罰を加えるが、石頭は悪びれるようすもない。石頭は、他の少年たちから「女郎の子」といじめられる小豆子のことを気にかけ、以降もずっとかばってやろうとする。石頭はレンガを頭で割る特技をもつので、その愛称がついているらしい。

 以下は、本作を理解するために手にとった参考書、加藤徹さんの『京劇―「政治の国」の俳優群像』に書かれていたことである。随所に本作についての言及もある本だ。

 映画に登場する喜福成は架空の団体だが、このような京劇役者養成の私塾は「科班」と呼ばれ、実際に多く存在していた。たいていは引退した京劇役者が運営し、貧しい家の子が月謝を免除されるかわりに、住み込みで役者として働きながら訓練を受けていた。訓練期間は7~10年ほど、食事も宿舎も粗末で、体罰が当たり前になっているような苛酷な環境だった。

 入塾する際には「死契」と呼ばれる契約書が交わされる(映画で小豆子が血判を捺させられていたのがこれだろう)。そこには、生徒が死んだり逃亡したりしても師匠も弟子も恨み言を言わない。生徒が教えを尊ばず規則を守らない場合は体罰を加えてもよく、その結果死んでも文句を言わないといった厳しい条項が書かれていた。

 ただし、本作に描かれているほどに虐待的な指導が実際に行われていたわけではないらしく、中国の京劇関係者のあいだでは本作の科班における暴力描写が大げさすぎるという批判の声があったという。

 以上、加藤さんの本の情報からして、「科班」の指導の厳しさは相当なものだったが、むごい体罰や折檻のシーンには映画ならではの脚色も含まれているようだ。その痛々しさたるや、演じる子どもたちもよく耐えていたなと思うほどで、これが今日の映画であれば子どもたちにそういう演技をさせることも、ましてや苛酷な訓練や体罰のシーンをやらせること自体も、非難の的になりかねない。

 でも私は、これこそ伝統の世界で生きることの苛酷さ、伝統を守ろうとする者たちの苛烈さを皮膚感覚に伝える、本作ならではの見どころだと考える。また、体罰・折檻のシーンも含めて、喜福成の少年たちの超絶的な運動能力や軽業的な動き、起伏の激しい喜怒哀楽は、本作に生き生きした躍動感をもたらしていることは間違いない。そもそも本作が3時間にも及ぶ長尺でありながらまったく飽きることなく見続けることができるのも、全編にわたって画面にあふれるこの躍動感があってこそ、重厚な人間ドラマでありながら血沸き肉躍るエンタテインメントとして成立しているからこそなのだ。泣き喚きながら奮闘する少年たちの描写も、そんなエンタテインメントの魅力的な要素になっていると思う。

point 4 「男として」なのか、「女として」なのか

 小豆子を庇った石頭は、水の入った盥を頭の上に載せて屋外でじっと跪くという折檻を受ける。夜になり雪が降り積もっても、石頭はそのままの姿勢で耐えつづける。やっと許しが出て屋内に入ってきた石頭に、さっと小豆子が寄り添う。自分の衣服を脱いで、石頭の凍え切った体を温めてやろうとする。そのまま二人は肌を寄せ合って眠る。無邪気な子供同士というよりも、まるで恋人同士のようだ。この小豆子幼少期を演じる少年の可憐さもあいまって(成人した小豆子=程蝶衣を演じるレスリー・チャンの面影もある)、本作のなかでもとくに胸に残るシーンだ。

 やがて小豆子は女形の卵となり、女性役「旦」を演じるために必要な歌舞の訓練を受け始める。青少年期の小豆子を演じる子役もまた、繊細で初々しい色香を湛えている。劇団の少年たちのなかでもひときわ体格のいい石頭は、豪傑である「浄」を演じる役者としての訓練に入っている。子供たちが成長しても、科班における訓練はあいかわらず苛酷で、体罰や折檻も日常茶飯である。

 小豆子は老師から促され、片足を大きく開脚しながら京劇の女役の科白を言う。すっかり科白を諳んじている小豆子だが、「女として生まれ」のところで「男として生まれ」と言ってしまい、何度やり直しても言い間違えてしまう。そのせいで、手のひらを激しく打たれるという厳しい折檻を受けることになってしまう。

 小豆子が何度も言い間違えてしまう科白は、京劇「思凡」にある。恋に憧れて葛藤の末に寺を出奔してしまう尼僧の話であり、この尼僧は演じる役者の力量が試されるたいへん難しいものだという。

 小豆子はそのような難役にも挑めるほどの力量を備えつつあるのだが、「女として生まれ」という科白だけはどうしてもうまく言えない。これは女形として生きていくことへの葛藤のせいなどではないだろう。自分がふつうの「男」ではないという自覚が芽生えつつあって、そのせいで自分が「女」であるのか「男」であるのか、悩ましい心情を抱いているのだろう。そして、小豆子にそのような思いを抱かせているのは、幼いころから自分を慈しんでくれた石頭の存在なのである。

point 5 わが愛、覇王との決定的な出会い

 小豆子は、お調子者の小癩に唆されて、あろうことか劇団の外で繰り広げられている祭礼の賑わいに惹かれるようにして劇団を脱走してしまう。石頭が必死で止めようとするが、振り切ってしまう。自分の中に芽生えている「性」への違和感、そのせいで芸の上達が阻害されていることに悩んだ果ての逃走でもあるのだろう。小癩は、憧れていた「この世でもっともおいしい」サンザシの実のお菓子を手に入れてすっかり有頂天だ。

 二人は疾走する立派な馬車に気づき、その行方を追う。その先には馬車から降りた京劇の名優が、人びとから喝采を受けている姿があった。二人は、その名優が出演する劇場へと続く熱狂的な人々の渦に吸い込まれていく。劇場はぎゅう詰めの満員、名優の登場を今か今かと待ち焦がれる観客の熱気が満ちあふれている。ほどなくして舞台で「覇王別姫」が始まり、さきほどの名優が演じる項羽の圧巻の立ち回りに、観客の歓声は最高潮に達する。

 前述した加藤徹さんの本によると、この時代、京劇は中国を代表する「国劇」として黄金期を迎えつつあった。国としては辛亥革命後の軍閥割拠の時代にあり、北伐軍と国民党と共産党が相争う乱世になりつつあったが、一方では反日・反帝運動が盛り上がり、英雄譚や歴史劇を通して中華民族的精神を鼓吹する京劇が、中国の人びとに熱狂的に支持されていったのだ。ちなみに当時の北京での京劇の劇場は「茶園・茶荘」などとも呼ばれ、その名の通り元は飲食をする場だったこともあり、観客たちは上演中の飲食もおしゃべりもやりたい放題、映画に描かれているように、かなり騒がしい雰囲気だったという。

 雨の日も風の日も少年劇団の塀の中で苛酷な訓練を受けている小豆子と小癩は、世の中でそれほどまでに京劇が熱狂的に受け入れられていることなど、知らなかったのだろう。天井桟敷の立ち見客に混じって、交替で肩車をしながら無我夢中で舞台を見る。小癩は、「あそこまでの名優になるために、どれほど殴られ続けたことだろう」と我が身を振り返って涙をこぼす。小豆子は、名優の演技というよりも、「覇王別姫」の物語世界に、とりわけ覇王(項羽)の存在感に心を奪われて、涙がとまらない。小豆子にとって、このときの覇王との出会いは、まさに運命とも呼べるものになっていくのだ。

 すっかり放心して劇団に戻ってきた小豆子と小癩を待ち受けていたのは、二人を引き留めなかったという咎めによって激しく折檻されている仲間たちの姿だった。とりわけ年長者の石頭は、老師から刀(おそらくは演劇用の模造刀)の腹で何度も打ち据えられていた。小豆子は責めを負うのは自分だと老師たちに言い、みずから尻を出して体罰を受ける。

 ところが小癩は激しく打たれる小豆子の様子を見てすっかり怖気づき、ポケットに隠していたサンザシの実のお菓子を大急ぎで頬張ると、練習場で首を吊って自死してしまう。小癩の遺体の入った小さな棺を、小豆子は石頭とともに見送る。その後、老師は少年たちに、「覇王別姫」のストーリーを語って聞かせる。「人は(自分の運命に)責任を負わなければいけない」と諭す老師の言葉を聞いて、小豆子は自分の頬を何度も何度も打つ。

 「覇王別姫」の舞台に打たれ、その物語の意味することを知って、すっかりこの世界で生きていく覚悟が座ったのだろう。

point 6 石頭が小豆子から奪ったもの?

 劇場支配人の男が喜福成を訪ねてくる。京劇界に力をもつ張老人が主催する祝い事の会で京劇を演じる若い役者をキャスティングにきたのだ。張老人は清王朝の元宦官で、京劇の庇護者だった西太后とも面識のある有力者だという。劇場支配人は、すぐさま見目麗しい小豆子に目を付け、その力量を見ようと例の「思凡」の科白を言わせる。ところが、またしても小豆子は「女として生まれて」を「男として生まれて」と言い間違えてしまい、劇場支配人をあきれさせてしまう。

 その様子を見た石頭が、「師匠に恥をかかせた」と言っていつになく小豆子を強く責め、その口を無理やり開かせて、キセルを突っ込んで乱暴にかき回すという折檻をする。小豆子は涙目になって苦しそうな顔をしながらも、石頭の暴挙に身をゆだねて耐え、その後は何かが乗り移ったかのように、口から鮮血を流しながら、堂々たるようすで「思凡」の科白を言ってのける。その凄絶な色香たるや。

 この石頭による小豆子への折檻は、加藤徹さんの本によると、天下の名優で知られた裘盛戎(キュウセイジュウ)が、幼いころに父親から受けた特訓中の体罰のエピソードをもとにしているらしい。

 私は、このシーンは、石頭による小豆子の「破瓜」、つまり「処女喪失」を暗示しているのではないかと思う。過敏な口の中を傷つけるという、ある意味で老師たちによる折檻以上に残酷な仕打ちであるが、石頭のこの行為によって、小豆子はどうしても声に出せなかった「女として生まれて」をすらすらと口にすることができたのだ。ほかでもない、小豆子が幼少期から思慕する石頭によって行われた行為だからこそ痛みを受け入れることができたのだし、それによって見事に「女として」、つまり「女形」としての開花に向かうことができた。そんなふうに思いたい。

point 7 「捧旦」=女形の宿命?

 小豆子は石頭とともに元宦官の張老人の屋敷で、「覇王別姫」を演じて見せる。張老人はたいそうご満悦だ。とりわけ、小豆子の美貌と初々しい色香にすっかり酔心してしまう。そして、小豆子に性接待をさせるよう老師と劇場支配人に指示する。

 演技を終えて中庭で石頭と無邪気にたわむれていた小豆子は、有無も言わさず布にくるむようにしてその場から拉致され、張老人の寝室へ連れてこられる。好色な張老人は若い女性と遊んでいるが、小豆子の姿をみて女性を追いやってしまう。緊張して尿意を催してしまった小豆子に、なんとガラスの器を差し出し(!)、小豆子の放尿をうっとりと見つめている。小豆子は怯えて逃げ回るが、ついに老人につかまって、力尽くでのしかかられてしまう。

 またしても加藤徹さんの本によると、旧中国には、「捧旦」といって、金持ちや有力者が女形の美少年の役者をひいきにして、金品をプレゼントしたり、熱烈な詩を書いて贈ったり、私邸に招いてプライベートな時間を持ったりする風潮があったという。そのためかつては「旦」(女形)といえばイコール男色という勘違いも多かったが、それは偏見であるともいう。

 本作の描く張老人の男色好みは、いまの映画のジョーシキからすれば、変態的に誇張しすぎであると断罪されてもしょうがないと思うし、加藤さんの本の話からすると、京劇界の慣習と照らしてもデフォルメしすぎだと言えそうだ。

 それはそれとして、本作を味わい尽くすためには、美しい女形となった小豆子が「捧旦」を経験することで、ますます自分が「女として生まれ」たのか「男として生まれ」たのかという葛藤に拍車がかかってしまったであろうこと、そして以降も、パトロンのために体を捧げることを求められる境遇が、自分を棄てた遊女である母親の姿とも重なり、小豆子を苦しませ続けたであろうことは、とらえておくべきだろう。

 張老人の屋敷からの帰り道。石頭はショック状態に陥っている小豆子を心配するが、小豆子は何も打ち明けることができない。その矢先、小豆子は捨て置かれ泣いている赤ん坊を見つけ、抱き上げて、劇団に連れて帰る(赤ん坊はのちに蝶衣の弟子、小四となる)。遊女である母親に捨てられ劇団員となった小豆子が、有力者に体を売ったその日に捨て子を拾い、自分と同じ劇団員として育てていくことになる。これもまた小豆子が抱えざるを得なかった宿命なのだ。

point 8 蝶衣が生きる虚実皮膜の世界

 時は流れ、小豆子は程蝶衣(チェン・ディエイー)、石頭は段小楼(ドァン・シャオロウ)と名を変え、コンビで「覇王別姫」を当たり役とする人気京劇俳優となっている。二人はすっかり垢ぬけ、スーツ姿で相並んで写真撮影に応じる。あいかわらず体格のいい石頭=小楼は辮髪を結い、快活な笑顔を振りまく。小豆子=蝶衣は女形らしく、上品な微笑と奥ゆかしい仕草がすっかり板についている。男同士ではあるが、神々しいほどに似合いのカップルだ。

 二人が人力車に乗って移動すると、かつて小豆子を張老人に紹介した劇場支配人が、蝶衣に日傘を差す雑役とともに小走りで付き添う。二人が育った喜福成=科班は、貧しい子供たちが粗末な衣食住のなかで苛酷な日々を送る最下層の施設だった。そのような場所でどんなに苛酷な訓練を受け超人的な技能を身に付けても、役者稼業は長らく賤業とみなされていた。それでも、蝶衣・小楼のようなトップスターともなれば、人力車に日傘係が付くほどに、下にも置かぬ扱いを受けることができるわけである。

 けれども、人気絶頂の蝶衣・小楼のあいだには微妙な隙間風が吹いている。ひとつには、「覇王別姫」では、虞姫を演じる蝶衣の人気が圧倒的に高く、公演後のカーテンコールを受けるのも有力者からの贈り物が届くのも蝶衣ばかり、小楼はそのことがおもしろくないらしい。

 またまた加藤徹氏の本によると、京劇「覇王別姫」は1921年に、あの天下の名女形・梅蘭芳(メイ・ランファン)のブレーンだった斉如山が書き下ろした比較的新しい演目である。そのタイトルどおり、「覇王別姫」の主役はあくまで覇王=項羽で、虞姫は13場面中たった3場面しか登場しない。また当初は項羽を演じたのは名優として名高かった楊小楼で、虞姫を演じる梅蘭芳はずっと格下だった。にもかかわらず、梅蘭芳の存在感が圧倒的で、観客は虞姫が自殺する場面を見終わると項羽の最後の大立ち回りを見ないで席を立ってしまうといったことさえあった。そのせいで楊小楼は自分の演技力の不足に悩み、ノイローゼになるほどだったという。

 おそらく本作の蝶衣・小楼の関係は、この梅蘭芳・楊小楼のエピソードにあやかって描かれているのだろう。石頭が「小楼」になったということからして、京劇を知る人にそのような連想を働かせることを意図しているはずだ。

 蝶衣のほうは、小楼が女遊びに目のない「フツーの男」になっていくことに耐えられない。蝶衣はずっと小楼に覇王を重ねて思慕しつづけてきた。舞台のうえでも、舞台の外でも、ずっと覇王と虞姫として生きることを望みつづけてきたのだ。蝶衣は「死ぬまで一緒に歌いつづけよう」「一分一秒たりとも離れたくない」と懇願するが、小楼は「自分には私生活も必要なのだ」と言って撥ねつけてしまう。

 「フツーの男」である小楼は、蝶衣の狂おしい思慕のことなど理解しようもない。芝居に打ち込みすぎるあまり、現実との区別がつかなくなっているのだと思い込んでいる。男と女の違いさえ超越していく蝶衣の芸を奇特なものだと思いながらも、やや重たいものにさえ感じているらしい。あれほど幼いころの蝶衣のことを庇い慈しんでくれた小楼だが、またその後もときどきは生来のやさしさや男気を発揮する小楼だが、しょせんは「フツーの男」ならではの俗物なのである。小楼を演じるのは張豊毅(チャン・フォンイー)、快活で親切な好漢だが、刹那的で俗物的という小楼の凡人性を、魅力的に演じている。

 楽屋では、つねに蝶衣が自分のメイクアップを終えたあとに、小楼の顏に正義をあらわす黒々とした覇王(項羽)の臉譜(れんぷ=リャンプー)=隈取を描いてやる。それが女役の務めである。この隈取を描く蝶衣=レスリー・チャンの表情や手つきの美しいこと、美しいこと。小楼その人は覇王でもなんでもなく、蝶衣が自ら小楼を用いて理想の男性である覇王像を描き出しているのだということを、まざまざと感じさせるシーンでもある。

point 9 終生のライバル登場―舞台裏の戦闘

 小楼は、馴染みの置屋の売れっ子遊女・菊仙にすっかり執心している。菊仙が悪漢たちにからまれて置屋の3階から飛び降りようとするのを、ここをチャンスとばかり抱き留めて扶け、さらに菊仙は自分の許嫁であると嘘を言い、その場を収めてしまう。

 菊仙はみずから女将に啖呵を切って置屋をやめ、身ぐるみひとつで裸足のまま劇場の楽屋にいる小楼を訪ね、置屋を首になったと告げる。菊仙にとっても、人気俳優である小楼との出会いは、苦界(くがい)を抜け出すチャンスなのだ。一世一代の芝居を打って、まんまと小楼と婚約してしまう。蝶衣は菊仙に対して「芝居の素人はわきまえろ」と冷たく言い放ち、激しく嫉妬の炎を燃やす。

 本作におけるヒロインは間違いなくレスリー・チャン演じる蝶衣だが、コン・リー演じる菊仙もまた、もう一人のヒロインである。それほどまでに、中盤以降の物語の展開に大きく深くかかわっていく。菊仙と蝶衣が初めて対峙するのは劇場の舞台裏であるが、二人が小楼の気を惹こうとあざとい「芝居」のような言葉を放ち、互いにその真意を見抜きながら火花を散らす様子は、まさに舞台劇のような見どころになっている。

 コン・リーは張芸謀(チャン・イーモウ)監督の映画に立て続けに出演して数々の映画賞を手にした実力派、このコン・リーが身を張って菊仙を演じているのだから、見どころにならないはずがない。

 こうして蝶衣と菊仙のあいだで小楼をめぐる激しい愛憎劇が展開されていくわけだが、それだけではない。じつは蝶衣にとって、遊女である菊仙は、自分を棄てた母親のことを思い出させずにいられない、つねに母親と二重写しになる存在なのである。それに加えて、パトロンに身を捧げなければならない境遇の蝶衣はいわば菊仙とは似たもの同士、菊仙のことを蔑めば蔑むほど、その言葉が我が身に振りかかってきてしまうのである。この蝶衣と菊仙の写像関係こそは、本作をスリリングな心理劇に昇華している重要な要素だと思う。

point 10 化粧する女形、化粧しない女形

 小楼は菊仙と電光石火の結婚をしてしまう。蝶衣は小楼に決別を言い渡し、自分に格別な関心を寄せる京劇界の重鎮・袁世卿に誘われるままに、その屋敷を訪れる。袁世卿もまた同性愛者である。

 蝶衣は袁世卿が所有する白鞘の刀剣に魅入られる。それはかつて張老人に襲われた屋敷で見たものだった。模造刀ではなく由緒のありそうな真剣である。袁世卿は蝶衣にその刀を贈り、見返りとして蝶衣は袁世卿のもとめる遊びに応じる。虞姫の化粧をした蝶衣は、袁世卿の顏にも隈取を施してやり、酒の酔いにまかせながら、二人で「覇王別姫」を演じて興じる。蝶衣は袁世卿がもつ例の刀を鞘から引き抜き、自分の首に当てる。虞姫最期のシーンである。そのまま蝶衣はハラハラと涙をこぼす。袁世卿は真剣を首に当てる蝶衣を見て一瞬驚くが、もはや演技を超えた幽玄ともいえる佇まいにすっかり魅せられ、唇を寄せていく。

 小楼を失い自暴自棄になりながら、京劇の化粧で素顔を覆い、酒の酔いを借りて、袁世卿の相手をする蝶衣の痛ましさ。物語の世界に逃げ込むことで、かろうじて正気を保っているのだ。素の蝶衣のままでは、とても袁世卿の相手はできない(袁を演じる葛優、ちょっと顔も動きも爬虫類ぽくて、虫酸が走りそうな粘着質を絶妙に演じている)。それは「男としても」「女としても」無理なことだ。だから虞姫になることで、袁世卿を受け入れる。そのために化粧をする。蝶衣の化粧にはそういう意味があるのだろう。

 こうして蝶衣は、白鞘の刀剣を手に入れ、黒塗りの車で袁世卿の屋敷を出て小楼と菊仙の披露宴会場に向かう。深い哀しみのなかで虚無に陥ったかのような蝶衣の表情。その顔は、化粧が剥げ口紅がにじみ、袁世卿との隠微な時間が刻印されている。そのまま披露宴会場に上がり込み、刀剣を「結婚祝いだ」と言って小楼に投げつける。

 この化粧する蝶衣の悲哀は、その後に展開するシーンの「化粧しない蝶衣の意気地」と好対照をなしている。

 小楼と蝶衣と菊仙が愛憎劇を繰り広げているそのさなか、日中戦争(中国では抗日戦争という)が始まり、日本が北京を制圧してしまう。劇場も日本軍の制圧下に置かれるが、蝶衣は見事に「貴妃酔酒」を演じて見せ、満場の観客と日本軍将校から喝采を浴びる(このシーン、日本軍の存在による整然とした観劇の様子が印象的に描かれている)。一方、小楼は楽屋にきた不作法な日本の軍人に盾突いて、拘束されてしまう。菊仙は蝶衣に、日本人将校に取り入って小楼を扶けてほしいと懇願し、見返りとして小楼との離別を約束する。

 蝶衣は、小楼のために、青木という日本人将校の宴席で昆曲の「牡丹亭」を舞い歌って、賞賛を受ける。このときの蝶衣は化粧なしの素面で、ゆったりした男性の中国服姿である。女形の芸を、あえて男性の姿で披露しているのである。それでも女装姿での演技にまったく見劣りしない、艶やかなレスリー・チャンを堪能できるシーンである。それとともに、中国を蹂躙している憎むべき日本人を相手に、京劇よりも歴史と格式のある昆劇を、女性の姿ではなく男性の姿で演じていることに、蝶衣の芸術家魂を感じることができるシーンでもある。

 きっと、中国の最高峰の技芸を日本に見せつけたい、それによって、決して中国は日本に劣ってなどいない、屈したりはしないということをわからせたいという意地もあったのだろう。それは、中国の大衆よりも日本人の軍人のほうが京劇を深く堪能してくれたことを、蝶衣が肌身で感じて知っていたからこそ、発揮できた気概でもあろう。

 残念ながらそんな蝶衣の意気地も気概も、小楼には届かない。蝶衣の働きによって釈放された小楼は、日本人の宴席に出た蝶衣のことを許そうとせず、二人のあいだの溝はさらに広がってしまう。菊仙も、蝶衣のことを気にかけつつも、小楼と別れることはしない。

「貴妃酔酒」を演じる蝶衣。日本軍将校から絶賛を浴びながらも表情は物憂い。(公式ホームページより)

point 11 京劇愛好者たちの栄枯盛衰

 蝶衣と決別した小楼は京劇からも離れてしまい、かといって仕事に就くこともせずに、蟋蟀(コオロギ)賭博に熱中する自堕落な日々を送る。蝶衣はかろうじて京劇の世界にとどまっているが、すっかりアヘンに溺れている。

 アヘンといえばアヘン戦争が浮かぶように、中国にとっては人身も人心も蝕む悪魔の薬であると同時に、イギリスによる対中国政策の横暴を象徴するものである。アヘンは最初は貿易によってイギリスからもたらされ、あっというまに中国の高官から下層民のあいだにまで広まり、中毒者が増大した。輸入を禁じると密輸入が横行、ついにはアヘン戦争が起こり、イギリスによる中国侵略へとつながっていった。その後も、中国はなかなかアヘンとの関係を断ち切れず、京劇界もずいぶんアヘンに侵されていたという(加藤徹さんの著書より)。

 そんな二人を、かつての師匠である喜福成の老師が呼び寄せ、「京劇を滅ぼす気か」と激しく叱責する。蝶衣には兄の自堕落を止めなかったといって責め、小楼に対しては子供のころと同じように刀による尻打ちの体罰を加えようとする。ところが、その場にあらわれた菊仙は、老師に蝶衣のアヘン依存のことをリークする。小楼はただならない剣幕で菊仙を叱り、老師や蝶衣の見ている前でその頬を打つ。菊仙の思惑どおりに蝶衣と決別してしまった小楼だが、蝶衣のことは何があっても庇い続けるよき兄としての性根は変わっていなかったのだ。

 その後まもなく老師は急死してしまい喜福成は閉鎖される。蝶衣は、喜福成に残っていた例の捨て子の小四を引き取る。

 老師の叱責と死をきっかけに、蝶衣と小楼は舞台に復帰するが、時代はまたしても大きな変革期を迎えていく。1945年、日本の敗戦と同時に、北京に国民党軍が入城してくるのだ。日本軍に代わって劇場を埋め尽くす国民党軍の観劇マナーは不作法きわまりなく、耐えかねた蝶衣は途中で演技をやめてしまい、小楼は観客を諭そうとして「日本軍もそんなことはしなかった」と言ってしまったことから大騒動になってしまう。暴徒化した観客たちは劇場を破壊し、巻き込まれた菊仙は小楼の子を流産してしまう。

 そのうえ、蝶衣は戦争中の日本軍に対する接待を咎められ、漢奸(漢民族の裏切り者)裁判にかけられてしまう。菊仙は小楼に、蝶衣を助ける代わりに、「災いの元」となる蝶衣とはこれを気に離反することを約束させ、そのことを獄中の蝶衣に伝える。そして袁世卿をなかば脅迫して、蝶衣は日本軍に脅されたのだという証言をさせる。どこまでもしたたかな菊仙。

 ところが蝶衣はみずから「日本軍は自分に指一本触れなかった」と証言したばかりか「もし(将校の)青木が生きていたら日本に京劇をもっていっただろう」と、日本人を賞賛するような発言までして見せ、小楼たちの奮闘を無駄にしてしまう。結局、蝶衣に対する判決はなぜか保留とされ、すぐに仮釈放となる。その直後に、蝶衣は弟子の小四とともに、今度は国民党軍の司令官の前で「牡丹亭」を披露させられる。

 このように、近代中国が被った戦争と内乱によって、京劇の愛好者やパトロンたちも次々と交代していく。その栄枯盛衰が、蝶衣・小楼・菊仙の離合とともに描かれていることが、本作をさらに重層的なドラマに仕立てている。この後、落ちぶれて煙草売りになりさがった張老人を、蝶衣と小楼が町なかで見つけるというシーンも描かれている。袁世卿もまた後述するように、文化革命時代に痛々しい転落に見舞われていくことになる。

point 12 母のない子と、子のない母と

 蝶衣のアヘン依存はどんどん悪化していく。蝶衣の寝室は赤い金魚の刺繍を散らした薄布で仕切られていて、ベッドサイドには金魚鉢が置かれている。アヘンの影響で酩酊状態に陥っている蝶衣に、赤い金魚のシルエットが重なると、まるで鮮血がにじんでいるようだ。傷ついている蝶衣の心境のようでもあり、女性にしか起こりえない月経のようでもあり、満たされない「性」の疼きのようでもある。なんとも色っぽく、印象深い演出である。

 そのころ北京にいよいよ毛沢東率いる人民解放軍が入城、劇場にも紅軍のシンボルである赤旗が掲げられ、またしても時代は大きな変動期に入っていく(1949年には天安門広場で中華人民共和国の建国を宣言する)。蝶衣は小楼とともに、新制中国で舞台に立つようになるが、アヘンの悪影響が蝶衣の演技に目に見えてあらわれるようになる。

 アヘン中毒からの脱却を決意した蝶衣を支えたのは、小楼とともに、意外なことに菊仙である。激しい離脱症状と闘いつづけぐったりしている蝶衣が、「おかあさん」「寒い、寒い」とうわごとを言うのを聴いて、菊仙は蝶衣の体を抱いて温めてやるのだ。幼いころに母親に捨てられた蝶衣と、国民軍による騒動のさなかに我が子を流してしまった菊仙のあいだに、つかの間、温かい血が通い合う名場面である。

 菊仙と小楼の献身によって蝶衣はアヘン依存を克服する。蝶衣の寝室に、京劇関係者たちが見舞いにくると、さっぱりした表情の蝶衣と、その蝶衣にかいがいしく食事の世話をしている小楼が相並んで、穏やかな笑みを浮かべている。ようやく二人に訪れた雪解けである。が、時代の波はさらに容赦なく、蝶衣・小楼・菊仙に襲い掛かっていく。

point 13 文化大革命のおぞましさ

 復帰した蝶衣を待っていたのは、伝統を因習として打倒し、労働者の権利と革命の精神を声高に謳う共産主義思想一色の社会だった。小楼・菊仙は共産主義者の集会に出席し、袁世卿が吊し上げにあい厳しく糾弾され、裁判もなく死刑を宣告される様子を目の当たりにする。

 京劇もまた「改革」の影響を受けつつあった。女性の役者が登場し、女形の活躍の場を奪いつつあった(やがて女形の育成が禁止されるようになる)。蝶衣が拾い育てた小四もその赤い思想にかぶれていき、革命劇にのめりこみ、伝統京劇に対しても蝶衣に対しても露骨な反発心を見せる。

 それでも蝶衣は小楼とともに再び「覇王別姫」の舞台に臨むのだが、若い俳優たちとともに舞台裏で化粧と着換えを終えた蝶衣の前に(改革によってトップスターが楽屋を占有することもなくなっているのだ)、まったく同じ衣装と化粧をまとった小四があらわれる。小四が謀って、蝶衣から虞妃役を奪い取ったのだ。

 小楼はそのことを知りながら、蝶衣に伝えていなかった。小四をはじめとする改革派の若い役者たちの圧力を受けたのだろう。それでも蝶衣に気兼ねして小四との共演を拒む小楼だったが、団員たちに促され、最後は蝶衣の一押しで、覇王として舞台に出ていく。

 一部始終を見ていた菊仙は、さすがに一人楽屋に残された蝶衣を哀れんだのか、その肩に舞台衣装のガウンを掛けてやるが、蝶衣は「ありがとう、姉さん」と告げると、毅然としてそれを脱ぎ捨て、劇場を去る。このシーンは、幼い小豆子が、喜福成の子どもたちから「女郎の子」とはやされたとき、母に掛けてもらった外套を焼き捨てたシーンと響き合う。蝶衣はどうしても、遊女だった菊仙の好意も親切も受け入れられないのだ。
 蝶衣はさらに、所有する絢爛豪華な京劇衣裳を焼き払い、そのまま行方をくらましてしまう。

 本格的に文化大革命の嵐が到来すると、従来の伝統的な京劇は禁止され、革命模範劇と名付けられた新作劇ばかりがさかんに演じられるようになる。京劇の担い手も革命青年たちにとって代わられる。

 小楼と菊仙はなんとか時代に逆らわず生き延びようとしている。激しい雷鳴の夜、屋敷の中でこっそり、旧体制にまつわる文物を火にくべ、贅沢品を廃棄していく。やるせない思いで隠し持っていた酒を夫婦であおり、不安を押し流そうとするように、欲望のおもむくままに熱情的なセックスにおよぶ。その様子を、丸眼鏡をかけた人民服の中年男性が覗き込んでいる。すっかり変わり果てた蝶衣である。結局、蝶衣は何も言わずにその場を立ち去る。

 とうとう暴力的な粛正が京劇俳優たちにも及ぶ。小楼は他の京劇俳優とともに捕縛され、京劇衣裳を着て化粧や隈取をさせられる。自分では隈取を描けない小楼の顏はぐちゃぐちゃだが、そこにかつてと変わらぬ完璧な化粧を施した蝶衣があらわれ、何もいわず小楼の顔に隈取りを描いてやる。離れていても、小楼のことを思い続けていただろう蝶衣のいじらしさがあふれるシーンである。

 だが、その蝶衣も、小楼や他の役者たちとともに、「文芸界の化け物」などと罵られ、街中を引きずりまわされたあげく、群衆の前で自己批判を強要される。菊仙も小楼を心配して追いかけてきたが、紅衛兵たちに抑えられてなすすべもない。

 小楼は、蝶衣のことについて聞かれ、はじめは庇うような発言をするが、紅衛兵の恫喝に屈して、蝶衣がかつて日本軍を接待したことやアヘン中毒者であったこと、さらには袁世卿との男色のことまでリークしてしまう。そんな小楼に対して、蝶衣はあろうことか妻の菊仙が女郎あがりであることをリークし、小楼は保身のために、菊仙のことは愛していない、離婚すると宣言してしまう。

 長年にわたる三人の愛憎関係が、文革による自己批判によって、公衆の面前で無惨に暴かれていく残酷なシーンである。自己保身のために蝶衣も菊仙も裏切った小楼の小心さが際立つシーンでもあるが(蝶衣がリークしたのは菊仙のことだけであり、菊仙は誰のこともリークしていない)、文革時代に行われていた粛正やリンチのすさまじさを想えば、無理もなかったとも思う。自分の身を守るためには、誰もが隣人であろうと家族であろうと裏切るしかなかった。それほどまでに文化大革命というのは、人間のおぞましさをあぶり出した運動だったのである。

point 14 蝶衣と小楼と菊仙をつないだ真剣の行方

 役者たちへの粛正が終わり、群衆が去った広場には、ぼろ布のように打ち捨てられた蝶衣が一人、身を伏している。そこにやはり打ちひしがれた様子の菊仙がやってきて、例の白鞘の刀剣を蝶衣に託す。小楼が吊るし上げの最中に火に投げ込んだものを、菊仙が必死に守り抜いたものだ。ほどなくして、何事かを察した蝶衣が、小楼の屋敷に駆けつけると、小楼が大声で泣きわめいている。菊仙は、小楼と暮らした屋敷で、首を吊って自死したのだ。菊仙を死に追いやったのは、紅衛兵による吊し上げのなかで、小楼が口にした裏切りの言葉であり、それを誘発した蝶衣の言葉だった。そう考えるしかないだろう。

 では、菊仙が最後に刀剣を蝶衣に託したのにはどんな意味があるのだろう。

 この刀剣は、じつは二度にわたって、蝶衣から小楼に受け渡されたものだ。もとは幼いころの小豆子(蝶衣)を手籠めにした宦官の張老人のものだったが、張老人が落魄してからは、有力者の袁世卿の手にわたった。蝶衣はその袁世卿の男色を受け入れる見返りに刀剣を譲り受け、それを結婚祝いとして小楼に贈ったのだった。これが一回目の受け渡しであり、おそらくそのときには、「この刀で関係を断ち切る」という蝶衣の強い意思が込められていただろう。

 その結婚祝いの刀剣は、日中戦争後に蝶衣が漢奸裁判を受けたときに、菊仙の手から袁世卿に戻されるのだが(袁世卿を脅迫する小道具に使われたのだ)、蝶衣が裁判で仮釈放され京劇界に復帰したときに蝶衣に戻り、再び蝶衣から小楼に戻されたらしい。これが二回目の受け渡しであり、これをきっかけに、小楼と蝶衣はまたコンビを組んで舞台に上がるようになる。このときは、再び蝶衣のための覇王になってほしいという思いを込めていたのだろう。

 そうやって二人のあいだを行ったり来たりしていた刀剣に、最後に菊仙が込めたもの。それは、長いあいだ、愛憎をぶつけあい、ときに助け合いながらも傷つけあってきた、三人の関係をこれで終わりにしようというメッセージではなかっただろうか。互いに小楼への執着を断ち切って、もう楽になりましょうというメッセージを送りたかったのではないだろうか。そうして菊仙は一人で首を吊って死んでいった。

その菊仙のメッセージを蝶衣はしっかりと受け止めていたように思う。それが、驚くべきラストシーンの意味にもつながっていくのだ。

point 15 虞姫として生き、虞姫として終わる

 いよいよラスト。再び冒頭の、1977年の「覇王別姫」のリハーサルシーンに戻る。

 冒頭の会話にあったように、蝶衣と小楼はこれが11年ぶりの再会であり、22年ぶりの共演である。そのことが何を意味するのか、二人が経てきた波乱万丈の道のりを知ったうえでは、ひしひしと感じるものがある。蝶衣も小楼も、文革のせいで長いあいだ舞台に立てなくなっていたのはもちろんだが、その前にすでに小四によって虞姫役を奪われたときから、二人の共演は途絶えてしまっていた。そして、紅衛兵の吊し上げにあったあとに菊仙が縊死してしまったときから、二人の関係も途絶えてしまってきたのだ。

 そんな二人を再び出会わせたのは、1976年の毛沢東の死、その後の四人組逮捕(四人組の時代のひどさについては冒頭でも言及されていた)によって、文革被害者の名誉回復の機運が起こっていた世風だっただろう。その舞台が劇場ではなく体育館であるのも、何か特別な民族的イベントの一環として、「往年の名優の再共演」が企画されたといった事情なのだろう。

 1924年に小豆子が喜福成に預けられたときは9歳、ということは1977年の蝶衣は還暦過ぎということになるのだが、美しく化粧し舞台衣装に包まれた蝶衣は、あいかわらずたおやかな色香をたたえて、まったく衰えを感じさせない。一方の小楼はすでに70歳近くだろうか、足腰も弱っているし、記憶力もあやしく、かつての好漢ぶりは見る影もない。

 小楼はおそらく、菊仙が死んだそのときに、魂が抜けてしまったのだろう。それ以来、屍のように生きながらえてきてしまったのだろう。

 体育館の天井から降り注ぐスポットライトのなかで、二人きりのリハーサルが始まる。小楼の腰には、あの白鞘の刀剣が差されている。二度にわたって蝶衣の手から小楼の手に渡され、最後に菊仙の手から蝶衣に戻されたあの刀剣が、三たび小楼に受け渡されたのだ。刀剣は戻っても、小楼の体力の衰えはいちじるしく、なかなか立ち回りがうまくいかない。そんな小楼のようすを、蝶衣は穏やかにほほ笑んで見守っている。

 突然、小楼は、幼いころに蝶衣がてこずったあの「思凡」の科白をいたずらっぽく口にし、蝶衣にその先を言わせようとする。蝶衣は感慨深い表情で「男として生まれ」「女ではない」と答えてみせる。そうして最後のシーンのリハーサルを再開する。蝶衣はすばやく小楼の腰の白鞘から刀剣を引き抜く。画面に描かれるのはそこまでだ。小楼は異変に気づき、振り返って目を見開き「蝶衣!」と叫ぶ。そして、ふと我にかえったように、小声で「小豆子」と幼馴染の名を呼ぶ。

 蝶衣は22年ぶりの共演、11年ぶりの再会で、虞姫の自刎を見事に果たしてみせたのだ。菊仙から託された刀剣によって、ようやく菊仙への返答をやってのけたのだ。
 きっと蝶衣も、菊仙が死んだあの吊し上げの日に、魂の死を自覚していたのだろう。ただし蝶衣は菊仙のように自死するわけにはいかなかった。京劇役者としての意気地がそれを許さなかった。子供のころに憧憬した「覇王」に生涯を捧げ、虚実皮膜のなかで生きてきた「虞姫」として、最後まで誇り高く生き、誇り高く死にたかった。それを自ら実行することは、あらかじめ母によって「生」を奪われ、男たちによって「性」を奪われてきた蝶衣の、唯一の生きた証にもなるはずだっただろう。

 やっとその願いを叶えた蝶衣の死に顔は、きっと清らかな澄んだ笑みを湛えていただろう。小楼が思わず、蝶衣の幼名を口にしてしまうほどに。

私ごとですが

 本作公開からちょうど10年後の2003年、レスリー・チャンが香港のマンダリンホテルから身を投げてしまいました。香港映画界のみならず世界中で愛されていたスーパースターの死は大きなニュースになったものでした。レスリーは当時としてはめずらしく、クィアであることを隠していませんでした。そんなこともあって、本作はレスリーの代表作であるばかりではなく、その生きざまさえ写し取った映画であると感じるファンも多かったようです。

 まったくレスリー・フリークではない私ですが、それでも本作のレスリーの渾身の演技は、一度みたら決して忘れられない、生涯にわたって胸に棲みつくものだと思います。

 ほかにもこの映画の魅力はたくさんありすぎて、いくら言葉を尽くしても語りつくせません。中国動乱の時代を描いた歴史絵巻としても、愛憎をぶつけあう人間ドラマとしても、また京劇という世界を扱ったアートとしても愉しむことができます。科班に生きる子供たちや京劇を取り巻く民衆や兵士たちの躍動感あふれる群像劇も演出的にすばらしいですし、絢爛豪華な美術・セットももちろん見どころです。科班や京劇の描き方についてはリアルではないと専門家からいろいろと難癖もあったようですが、あくまで血沸き肉躍るエンタテインメントとして、ケレン味も辞さずに描くということに徹したのでしょう。陳凱歌の映画人魂が横溢した作品であると思います。

 今回の4Kリマスター版公開を機にひさしぶりに劇場で見直すにあたって、私はそういったかれこれの見どころも堪能しつつ、最近の自分の映画鑑賞の傾向に引き寄せて、クィア映画としての側面にとくに注目してみました。おかげで、1993年の公開当時にはまったく思い至らなかったこの映画の仕掛けや、陳監督の深謀遠慮を感じとることができたように思います。

 1990年代といえば、まだまだ世の中で同性愛やLGBTQに対する差別や無理解が蔓延していた時代です。まして中国では同性愛を社会的に認めないばかりか、言論統制が厳しかった時代です(現在の習近平政権下でもそのような統制が再び厳しくなってきているようですが)。

 そんな社会状況のなかで、本作が、天才役者である蝶衣を「現実と演劇の区別がつかなくなり、男と女の境界すらあいまいになってしまった」人物として描くとともに、小楼に対する思慕を覇王に対する憧憬と二重写しにしたこと、さらには小楼をめぐって終生のライバルとなる菊仙を母親と蝶衣自身の写像として描いていることは、クィア映画として見ても画期的だと思いました。それによってあからさまに同性愛をテーマとすることを避けるとともに、京劇と現実のはざまにある虚実皮膜の世界でしか「生」も「性」も全うできない蝶衣の宿命を、絢爛かつ重厚なエンタテインメントとして描いているわけです。クィアを扱って、これほどまでに堂々たるエンタテインメントに昇華した陳監督の力量に、いまさらながら驚かされます。

 「見どころ」のなかであげたように、じつは本作は、随所で蝶衣の「性」も象徴的に暗示していると思います。蝶衣がパトロンたちによって性を収奪されるといった明白なシーンばかりではなく、たとえば母親によって指を切断されるのは蝶衣のクィア性の断種であり、小楼によって口中に折檻を受けるのは「処女喪失」であり、蝶衣の寝室の赤い金魚は充たされない性の象徴であろうといったことです。

 これらはもちろん、私のただの妄想なのかもしれませんが、少なくとも、そのような読み解きや考察をあれこれと楽しませてくれるような、周到な意図と暗示がふんだんに込められたクィア映画であるということは、誰も否定できないだろうと思うのです。

 そして、かえすがえすも、クィアを自認していたレスリー・チャンがもっとも輝いていた「時分の花」をこの映画に残してくれたこと、映画の神様の恩寵のようにさえ思えてなりません。